- 20000718 青木雄二・宮崎学 『土壇場の経済学』
- 経済(学)音痴の私(田原)でも、最後まで読み通せた二冊。
しかも楽しみながら。二冊比較して読むと、一冊読むだけより、三倍面白い。本文へ
- 20000718 佐藤雅彦・竹中平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』
- ベストセラーになってるってことは、みんなもやっぱり、
経済のこと知りたいんだけどとっかりがない、状態だったのね。本文へ
- 20000710 小林信彦 『現代<死語>ノートU −1977〜1999−』
- かくして、首都で生まれ育った小説家が、
戦後日本を「死語」を通して見通す、「歴史書」が完成。 本文へ
- 20000522 吉岡嶺二 『北前海道カヌー膝栗毛』
- 20000309 ダニエル・キイス 『アルジャーノンに花束を』
- 賢い人間でいつづけるのも大変。
なんでもできてみんなに期待される人はもっと大変。 なんでもできるから、なにかをみつける時間もない。
これは現代人なら、だれしも多少は持つ悩み。 だれしも賢くならなければ、というプレッシャーを受けている。本文へ
- 19991213 高木仁三郎 『市民科学者として生きる』
- 「反原発というのは、何かに反対したいという欲求でなく、
よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。」
すごい言葉ですね。本文へ
- 19991103 長谷川真理子 『科学の目 科学のこころ』
- 自然環境破壊は、直接的な被害だけではなく、
人間の「サイエンティフィック・リテラシー」を低下させるという
間接的な被害をもたらすのではないでしょうか。本文へ
- 19991007 池澤夏樹 『むくどり最終便』
- しかし、すでに、書評・書評ページを書評する眼力なしには、
情報の海に沈むしかない状況になりつつあるようで・・・。本文へ
- 19990901 池澤夏樹 『むくどりは飛んでゆく』
- 日本古来の庶民の資金調達法として存在した「頼母子講」「無尽」。
それが「模合」という名前で沖縄には残っているのだそうです。本文へ
- 19990817 柏木博 『日用品の文化誌』
- 口琴のか弱さと対照させるかのように、
パワー・マス・商業主義的楽器として
「エレクトリックギター」が紹介されるわけです。本文へ
- 19990808 星野道夫 『旅をする木』
- 「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、
もうひとつの時間が確実に、ゆったりと流れている。 日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、 それは、天と地の差ほど大きい。」本文へ
- 19990801 等々力政彦 『シベリアをわたる風』
- ちょっと孤独だけど幸せな子供たち。
やがて、星野少年はアラスカを見つけ、等々力少年はトゥバを見つける。本文へ
- 19990620 池澤夏樹『むくどり通信』
- 「実際の話、妻帯者に日記はむずかしいかもしれない。
書いているところを肩ごしにのぞかれたり、
こっそり書けば「何かわたしにいえないことがあるわけね」とかんぐられたり。
妻たちが日記を敵視する理由は明らか。
幸福な妻帯者ならば日記を書く必要などないはずなのだ。」
(「日記文学の宿敵」96-97P)本文へ
- 19990604 椎名誠『馬追い旅日記』
- 「映画が終ったあと挨拶のためにステージに立つと、多くの人が泣いているのが見えた。
『白い馬』の遊牧民の生活と、被災者の体験がどこか似かよっているので
特別に感じるところが大きかったらしい。本当に 大変だったけれど、
でも神戸の子供たちはいま日本で一番強い子供たちだろうと思う−−と話した。
モンゴルの、小さくても一人でなんでもやってのける子供たちを沢山見ての実感だ。」本文へ
- 19990524 新井素子『チグリスとユーフラテス』
- その望みの象徴が「チグリスとユーフラテス」と名付けられた×××。
この×××が、何か知りたい人は、『チグリスとユーフラテス』読むべし。本文へ
- 19990515 村上春樹『約束された場所で underground 2』
- 『約束された場所で underground 2』は、居心地の悪くなる本です。本文へ
- 19990504 タハール・ベン・ジェルーン『娘に語る人種差別』
- そして、おそらく、その息苦しさを一時的に解消するには、
誰かを差別するのが一番なのでしょう。しかし、それをしてしまうと、 娘が「〇〇人は××」と言い切るような人間に育っていくのも目に見えているようで。
ということで、私は、私自身のためにも、小日本人のためにも、 その息苦しさとともに生活することを選択したいです。本文へ
- 19990422 大田昌秀・池澤夏樹『沖縄からはじまる』
- 逆説的にいえば、沖縄の人たちは、
ちゃんと「政治的判断」をして一票を投じたわけで、 たいしたもの。本文へ
- 19990415 司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』
- まず、その十四代にわたるという陶芸家一族の存在。
その歴史の中で育まれたのか、十四代沈寿官氏の人間性の豊かさ。
あらゆる差別的精神を解毒する、司馬遼太郎の「知性」。本文へ
- 19990401 須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』
- その「時代」「場所」は、そこに立ち合った女性が初老を迎えて初めて、私たちの前に蘇りました。
一人の成熟した人間が、四半世紀前の異国での生活を、自分の言葉で綴る。本文へ
- 19990318 三好徹『チェ・ゲバラ伝』
- かれらに共通するのは、弱者・マイノリティに対する深い理解と同情、
抑圧者に対して抗議する意志の強さ、 不正を正すための仕事にかける勤勉さストイックさ、 勉強家であること、筆まめ、 そして人の心を動かす掴む優れた言葉の使い手であったこと、等々。本文へ
- 19990311 内田百間『東京日記 他六篇』
- 大震災から大戦までの間の東京の風景、なのでしょうか。本文へ
- 19990304 西村英樹『夢のサムライ 北海道にビールの始まりをつくった薩摩人=村橋久成』
- 村橋久成は、「周縁の人」から「中心の人」へ変わっていくチャンスに恵まれながら、
変わることに成功した人々に囲まれながら、 新しいエスタブリッシュメントに異議申し立てをし続けるかのように、 「辺境の人」として死んでいきます。
本文へ
- 19990225 横尾忠則『波乱へ!! 横尾忠則自伝』
- 横尾さんが上京した1960年から1984年までの二十四年間の記録。
ジャンルを超え、世界をまたにかけ、仕事をしまくる横尾さんの姿と、
その周囲に吸い寄せられてくる人々の人間模様。
四半世紀の「トンガった」人々の固有名詞の数多さ!本文へ
- 19990218 ヴァレリイ『ドガに就て』
- 「精神活動のあらゆる分野に於て、
真に優秀な人間とは常に何事もただでは与へられず、
凡ては代償を払つて築き上げなければならぬことを、
一番よく知つて居るもののことをいふのである。
彼等は仕事をするのに当つて障碍のないことを恐れ、
自分でそれを設けさへするのである。
かういふ人間にあつては、形式(フォルム)とは仕事をする時の、
意図せられた決意に他ならない。」本文へ
- 19990212 小林よしのり『戦争論』
- 一国のなかに、様々な意見があり、
それが自由に比較検討できるということも、
大切な「軍備」ではないでしょうか?本文へ
- 19990205 吉田秋生『カリフォルニア物語』
- 1970年代前半の「宝島」を熟読し、
1975年の「Made in U.S.A. Catalog」を買い(実は今だに本棚にある・・・)、 「ポパイ」の創刊を見た私のような人間には、 時代背景(アメリカではなく日本の)を感じつつ読める作品群なのですが、 いまどきの80年代以降に生まれた若い人たちには、 吉田漫画はどのようにうつるのでしょうか。本文へ
- 19990130 菊地聡『超常現象をなぜ信じるのか』
- 当選するのが「超常現象」である宝クジを、自分の分だけ「常時現象」化したがる精神と、
「常時現象」を「超常現象」として解釈したがる精神は どこかで繋がっているのかもしれません。本文へ
- 19990126 村上春樹『辺境・近境』
- 村上さんのみならず誰しも、「自分の両足を動かし、身体を動かし、
そのような過程をいちいち物理的に不細工に経過することによってしか、 前に進むことができない」のではないでしょうか。
それが端的に現われるのが、「旅の時間」というやつでしょう。本文へ
- 19990118 松本修『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』
- アホ・バカ系の言葉は大変奥行きの深いもので、
他人に対する最大級の侮蔑から最大級の敬愛まで、 人間の持つ感情のフルレンジに対応しているものです。
「バカな子ほど可愛い」の「バカ」一語に含まれる親の子どもに対する愛情が どれほど深いものであることか。本文へ
- 19981130 椎名誠『活字博物誌』
- 小林よしのりさんの『戦争論』を読んだあとだったので、
よいリハビリになりました(『戦争論』についてはまた後日)。本文へ
- 19981117 河谷史夫『読んだふり』
- ブックガイドとして読むもよし、
一新聞記者の読書術・読書観を通して
未知の世界に触れるもよし、というところでしょうか。
本文へ
- 19981110 『マルコムX自伝』
- 四十歳と数日。
マルコムXならすでに死んでいるし、ジョン・レノンならあと一月余りの命。
誰かに銃で撃たれる心配もないわが人生を幸せと呼ぶべきか、
何も生み出さないまま馬齢を重ねる現実を不幸と呼ぶべきか。
本文へ
- 19981027 伊東信宏『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』
- 田舎の人々から、より古いより地域限定された原初的な民謡を、
完全な形で収集しようというバルトークの姿は、
「自然科学者」を思わせます。本文へ
- 19981020 アレックス・ヘイリー『プレイボーイ・インタビューズ』
- アフリカの無文字社会の「語り部」たちの言葉、
差別を生む言葉とその言葉に対抗する言葉、
かつて生きていたその人を目前に蘇らせる言葉、
生きているもの同士が共生していくための言葉。本文へ
- 19981013 ト学会『トンデモ本の世界』
- それは、私の批評精神が冴えているからではまったくなく、
単に「窪田」と「アインシュタイン」では、どちらが信ずるに足るブランドか、
という処世知によるもので、「なんだかわかんないけどアインシュタインの方が
偉いんじゃないの・・・」程度の判断です。
アブナかった・・・。(過去形じゃないかも!)本文へ
- 19981006 金子達仁『決戦前夜』
- 実はこの本、表向きの「ワールドカップ」本「日本代表」本ではなく、
まったくの「中田英寿」本なのです。本文へ
- 19980928 アルセーニエフ『デルスウ・ウザーラ』
- そんなわけで、長くその映画その本に接することを願っていた私は、
たまたま、9月3日から15日までの大阪行に『デルスウ・ウザーラ』を携帯していたのでした。
行き帰りとも、日本海上を航行するカーフェリーを利用したのですが、
当然帰りの船では、追悼読書になりました。本文へ
- 19980917 司馬遼太郎『草原の記』
- 同じモンゴロイドの血を受け継ぐ民族が、
かたや21世紀にも通用する「エコ」遊牧文明を発達させ、
かたや21世紀を前に退潮を余儀なくなれつつある
「エゴ」物質文明から離れられないでいるのは、なんとも不思議なものです。本文へ
- 19980830 川上弘美『物語が、始まる』
- 津野裕子という「ガロ」に描いていた漫画家に「デリシャス」という、
わずか8ページの、とんでもなく良い作品があるのですが、 「物語が、はじまる」はその漫画を連想させました。本文へ
- 19980820 片岡義男『波乗りの島』
- 本当に久しぶりに再読した『波乗りの島』でしたが、
「島」は変わっていませんでした。
あるのはただ、美しくも恐ろしい自然を描いた美しくて乾いた物語だけ。
自然描写・風景描写の文章の独特なリズムの心地よさは無類です。本文へ
- 19980817 内田春菊・山村基毅『クマグスのミナカテラ』
- 「劇画」という言葉が今でも使われているのかどうか私は知りませんが、
『『坊ちゃん』の時代』、『猫楠』、『クマグスのミナカテラ』と並べれば、
劇画から漫画へのグラデーションが楽しめるのではないでしょうか。本文へ
- 19980812 津野海太郎 『新・本とつきあう法』
- やがて、BooxBoxレーベルの電子本が、
書店に並ぶ日が来たなら、皆さん、よろしくお願いします。
『新・本とつきあう法』は、これからの「本」のすがたについて考えさせる一冊でした。本文へ
- 19980801 柳田邦男 『『犠牲(サクリファイス)』への手紙』
- 偉大な物理学者が、ただ一人の男として失った女性に対して涙したことを知るとき、
また先端科学・医療に造詣の深い作家が、わが子の自死に呆然としつつも、 おおよそ非科学的な「脳死の息子との対話」を通して、 ある種の悟りを得たことを知るとき、 身近な人間の死をグリーフワークをし通せないでいた多くの一般人は、 本を読むことを通して、癒されるのではないでしょうか。本文へ
- 19980720 椎名誠 『草の海』
- そんな高橋さんですから、「ハマって」しまうのだそうです。
どの地を訪れても、その土地の人々とのつきあいが愛しいものになってくる。 一期一会という言葉が頭に浮かぶ。
帰りの飛行機では、剛直な見かけに似合わぬ涙を皆に見られないように、 タラップに向かう隊列の一番後ろを歩く。本文へ
- 19980714 関川夏央・谷口ジロー 『『坊ちゃん』の時代』
- 『『坊ちゃん』の時代』は、今から九十三年前、
前年から始まった日露戦争が終結した明治三十八年(1905)年から始まります。 十一月、東京は本郷の千駄木。
後、百年を待たずして、みずからの肖像が、日常の紙幣の上に印刷されることになったと知ったなら、 おそらく驚天動地するであろう「明治の文豪」の、 「『坊ちゃん』の時代」が、見事に描かれています。本文へ
- 19980706 水木しげる 『劇画 ヒットラー』
- ヒットラーはどうみても妖怪の一種ですし、
おそらく人種差別の精神とはもっとも遠いところにいる水木さんの手にかかると、 歴史上の人物も、なんだか頼りない顔つきの凡人にしか見えません。
以前、この同報で、荒俣宏さんの「水木しげるはファインアートの画家である」 という指摘を紹介しましたが、 ところどころに挿入される点描風景画は、確かに立派な絵画です。本文へ
- 19980630 手塚治虫 『アドルフへ告ぐ』
- そんな六月に読んだのは、わずか二冊の本。
手塚治虫『アドルフに告ぐ』と水木しげる『劇画 ヒットラー』。本文へ
- 19980529 オノ・ヨーコ 『グレープフルーツ・ジュース』
- 赤瀬川さんのように、「おのれの家の中の天井裏に、密かに前衛の神棚は奉って」ある(笑)
という境地にまでは達していない私ですが、 前衛ジョン・レノンの一ファンであった日々を思い起こしました。本文へ
- 19980528 後藤健生 『ワールドカップ』
- では何がサッカー選手の超一流と二流を分けるかというと
「インテリジェンス」なんだそうです。本文へ
- 19980523 カニグズバーグ 『Tバック戦争』
- はい、TバックはあのTバックです。
でも、H系のお話ではありません。立派な児童文学です。本文へ
- 19980518 山内昌之 『「反」読書法』
- が、私は、その手の方法論を知ることより、
「週刊文春」に連載されていたという「読書日記」 (一九九四年九月から一九九六年七月までのもの) をブックガイドとして読むことのほうが、面白かったです。 巻末には書目一覧もあり、親切な本といえるのではないでしょうか。本文へ
- 19980513 奥本大三郎 『書斎のナチュラリスト』
- 「書き出しの辞」によりますと。
「内容の詰まった本、意味のあることの書いてある本がうるさい。 たしかに文章には一定のストーリーがなければならず、味がなければならないとは思うけれど、 もし水のようにさらっとした、無味無臭に近い、それで何の内容も無い文章が書ければ、 少なくとも他人の迷惑にはならないだろう。」 全編、「おいしい水」の本でした。著者の目標は、達成された模様です。
本文へ
- 19980501 関川夏央 『中年シングル生活』
- 七〇年、全国平均で二パーセント弱にすぎなかった男性満五十歳時の未婚率は、
九十年には五・六パーセントに上昇した。一方、同年齢の女性のそれは四パーセントが 四・三パーセントとなったにすぎない。しかし東京だけに限ると、男一〇・五パーセント、 女八・三パーセントとそれぞれ倍にはねあがる。」本文へ
- 19980422 鈴木光司 『リング』
- 「お茶漬け」ホラー。
よくできた、おいしいお茶漬けではあります。本文へ
- 19980420 山上たつひこ 『光る風』
- 山上さんの実質的なデビュー作(1970年「少年マガジン」に連載)
とも言える作品がこの『光る風』です。これがわずか四年後に
『がきデカ』を書く人間の作品だろうか、と疑わずにはいられません。本文へ
- 19980417 ガバン・マコーマック 『空虚な楽園』
- 訳者あとがきでも書かれているのですが、たいへん客観的な批判の書です。
が、著者は全然エラぶっていない。日本の「正統」からちょっとずれた関西からの視線、 西欧の「正統」からちょっとずれた「ダウンアンダー」オーストラリア人の視点が、感じられるのです。
今こそ、国の偉い人達に、そのようなちょっとズレていて冷静な視線が必要ではないかと思うのですが、 「オレ絶対正統」の橋本さんの大ボケぶりを見ると(そして多分に代わりがいないからまだやっているらしいという話を聞くと)、 日暮れて道遠しだな、とは思わずにはいられません。本文へ
- 19980325 小島美子 『音楽から見た日本人』
- 早い話が、クラシックもヨーロッパ地方の民俗音楽、
すべての音楽は民族音楽である(坂本龍一氏談)、というのが最近の私のスタンスです。
優劣をつけることは、多様性を排除することではないか、と思いますです。本文へ
- 19980320 養老・奥本・池田 『三人寄れば虫の知恵』
- 三人寄れば』文中にもあるのですが、日本は地勢上、多雨で、
放っておいても植物が生えてくるという、世界でも希有な土地です。
そんな土地に暮らしながら、虫一匹入り込めない生活様式を確立してしまった(精神面でも!)わけで、 確立するまでのコスト、破壊してしまったものを再建(必ずそうしなくてはならないときがくるはずです)するコスト、 もろもろの影響を考えると、気持ちが重くなります。本文へ
- 19980306 高野文子 『棒がいっぽん』
- 1995年に発売されたこの本には、1987年から1994年の間に
発表された六つの作品が収録されています。
私は特に、巻頭に置かれた「美しき町」、初出1987年『プチフラワー』9月号(小学館)、 という漫画に深く感銘を受けました。本文へ
- 19980302 穐吉敏子 『ジャズと生きる』
- なるほど、『ジャズと生きる』は面白い本でした。
天分にも恵まれていたのでしょうが、音楽を、ピアノを、ジャズを愛する一人の女性が、
その愛の深さと信念の強さで、自分の道を切り開いていく姿は、感動的です。
特に私には、離婚後幼い子を連れて経済的に行き詰まり、ジャズを捨てる決心までするあたりから、
良きパートナーのタバキン氏との出会いのあたりまでが、印象に残りました。
と当時に、一人の人間の人生を変え、そこからフィードバックされる作品によって、
多数の人間の人生に影響を及ぼす、音楽の素晴しさを感じないわけにはいきません。本文へ
- 19980223 村上春樹 『若い読者のための短編小説案内』
- 吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、いわゆる戦後の「第三の新人」の短編から始まり、丸谷才一、長谷川四郎とくるわけですが、後ろの二人に関しての文章が良いです。
丸谷さんと長谷川さんのことを書きたくて、村上さんはこの本を作ったのではないか、と私なんかは勝手に想像します。
その筆力に押されて、丸谷さんと長谷川さんの本を読んでみたいという気になってしまっている私です。本文へ
- 19980108 足立倫行 『妖怪と歩く』
- ことあるごとに、南方への憧れをこめて働かないで暮らす地上の楽園を語る水木さんですが、
実際は「漫画業界は厳しい世界」という認識をいだいておられ、後進に追い抜かれることを心底恐れているのだそうです。
よって、普段は朝から晩まで仕事をしている。本文へ
- 19971225 荒木経惟 『天才になる!』
- 荒木さんの最愛の妻陽子さんが病気で亡くなったのが、1990年の冬。
私はそのニュースを、京都タワーの間近にある古い喫茶店で名物のカレーを食べながら読んだスポーツ新聞で知りました。
荒木さんは、その妻陽子さんの葬儀の間も陽子さんの写真を撮り続け、
同年代のよきライバル篠山紀信さんとの私写真論争になったのでした。本文へ
- 19971210 赤瀬川原平 『我輩は施主である』
- ついに施主の芸術家自身が「建築家」の命令で、木材をはつることにまでなってしまい・・・。
(「はつる」は漢字で書くと「削る」、少しずつけずり取る、皮などを剥ぐ、の意。)
日頃運動不足の「芸術家」が、東急ハンズで買った鉈を手に、「はつり」にハマってしまうくだり、
本職の大工さんの前で「芸術家のはつり」を披露する羽目になるあたり、おかしい。本文へ
- 19971207 レイチェル・カーソン 『センス・オブ・ワンダー』
- レイチェルさんは、『沈黙の春』執筆中に不治の病におかされます。
1964年に56歳の生涯を閉じるまで、自身遺作となることを覚悟していたとおぼしき、
『センス・オブ・ワンダー』に手を加えていたそうです。
死の翌年、友人たちの尽力によってそれが一冊の本になって出版されます。本文へ
- 19971204 小林よしのり・浅羽通明 『知のハルマゲドン』
- 先月の上旬、東京都豊島区の浅羽さんという方から、分厚い封筒が届きました。
差し出し人の名前に覚えもなく、しばし開封すべきかどうかを迷った後、中身を覗いてみて納得。
浅羽さんが主宰される「みえない大学本舗」の二つのリーフレット、浅羽通明さんの「流行神(ハヤリガミ)」と
高井守さんの「永久保存版」、それぞれの最新号とバックナンバー計26枚が送られてきたのでした。本文へ
- 19971203 田坂広志 『複雑系の知 二十一世紀に求められる七つの知』
- なんか30年前のフラワームーブメントのころのヒッピーたちの言っていたことが、
今ごろスクエアな人たちによって真剣に検討されている感もなきにしもあらず。
それもそのはず、ヒッピーたちは絶滅したわけではなく、今社会を動かしている年代になっている わけですからね。そう田坂さん(1951年生)の年代。本文へ
- 19971126 水木しげる 『猫楠 南方熊楠の生涯』
- 没後五十年を経てその優れた個性がクローズアップされ続けている南方熊楠さんを、
老境に入ってより盛んに執筆活動を続ける水木しげるさんが描くとなれば、面白くないはずがない。
しかも、面談の上「猫語」を解する熊楠によって、「猫楠(ねこぐす)」と命名された猫が、 狂言回し兼コメンテータとなって、話を進めていくという、漫画でしか表現しえない手法を使っています。本文へ
- 19971124 吉田秋生 『きつねのよめいり』
- まず、乾いています。「高温多湿」ではまったくない。アメリカや米軍基地周辺を舞台にした作品が多いのは、
じめじめした話を描きたがらない作者の意志を反映しているのではないでしょうか。
が、「無味乾燥」ではありません。
人間の感情のひだひだの奥、読者自身がそれまで気付かなかった、触られて気持ちいいところを、 巧みに「開発」してくれるのです。赤瀬川原平さんではありませんが、「脳内リゾート開発」されるのです。本文へ
- 19971119 白洲正子・加藤唐九郎 『やきもの談義』
- 対する白洲さんは、「太陽」巻頭エッセイで書いています。
「「永仁の壷」なんかつくっちゃうから無冠のままだったけれど、かえって野人でよかったと思います。 事件のおこる前に、美濃の白山神社に行って鎌倉時代作の「本歌」のほうも私は見てましたが、 こりゃあ間違えてもしょうがないというようなものでした。「本歌」とかわりないほどよくできているから。 瀬戸ではみんな敵視してたけれど、ちょっと見かたが狭いわね、いいものはいいと認めなきゃ。」本文へ
- 19971113 松山巌 『うわさの遠近法』
- うわさを信じちゃいけないよッ」という歌い出しで始まる歌もありました。
人間はうわさを信じがちであるという事実を歌ったものでしょう。
どんな集団にも、光速より速い口コミネットワークが存在するようです。
うわさがデマに変化したときの、それに捕えられた人間の行動にはこわいものがあります。
一方、口コミが生むヒット商品みたいなものも、途切れることなく、現われるわけで、「うわさ」怖るべし、です。本文へ
- 19971104 坪内祐三 『シブい本』
- 一番最初に紹介される本が「のらくろひとりぼっち」(高見澤潤子、光文社NF文庫)。
潤子さんといえば、他ならぬ「のらくろ」の作者田河水泡さんの妻で、あの小林秀雄さんの実妹であります。
「田河水泡(高見澤路直)は若き日、ダダイストの芸術家グループ「マヴォ」の一員だった。 中でも、もっとも過激な一人だった。逆さ吊りになってパフォーマンスをしている有名な写真も残されている。」(14P)。本文へ
- 19971030 ジャンヌ・ハンソン 『中年を悟るとき』
- 伊丹十三」「南伸坊」の共同作業とくれば、大いに興味を抱かざるをえませんが、
いかんせん題名が「中年を悟るとき」。若いあなたには手が出ないところでしょうが、 私はついこないだ39歳の誕生日を迎えたばかり、資格所有者といってもよかろう。 その本を、江別市情報図書館の書棚からそっと取り出し、貸し出しカウンターへと運んだのでした。本文へ
- 19971027 小泉今日子 『パンダのanan』
- どんな世界でもそうでしょうが、一流であり続けることは大変なことのはずです。
デビューして二十年近くなる小泉さんが、なぜ一線に生き残っているのか。
『パンダのanan』を読むとその理由が少しわかるような気がします。本文へ
- 19971014 井山弘幸 『偶然の科学誌』
- そしてやはり気になるのは偶然と創造性の関わり。
同じ一日二十四時間という時間を与えられ、同じ世界に生きている人間が、 かたや世界を創造する側に立ち、かたや(こちらが大多数になるわけですが)その世界に従属して生きていく。
それは大げさにしても、強いスポーツ選手や偉大な芸術家の優れている理由を、 その創造性の秘密を知りたい。本文へ
- 19971011 中島らも 『今夜、すべてのバーで』
- らもさんの実体験に基いた、アル中患者が主役の小説です。
読ませます。
病後の定期検診に来札していた父の検査終了を待合室で待ちながら読む、という絶妙なシチュエーション (たまたま本を持ってなくて、病院の購買でらもさんなら間違いあるまいと適当に買った一冊)。 おなかのあたりが「かいーの」になりました。 本文へ
- 19971001 ガルサン・チナグ 『草原情歌』
- その、モンゴル国内にわずか数千人という少数が残ったトゥバ民族の中から、
チナグさんという才能が生まれ、その民族の歴史を文学作品(原文はドイツ語です)として表現したわけです。
「ゲル」の骨組みのようにしっかりとした構成と、そこに張られるフェルトのように細やかな感受性
を併せ持った作品とでも申しましょうか。本文へ
- 19970923 竹内久美子 『BC!な話』
- 精液(液自体の容量はそれほど変化がないものだそうです。そういわれてみれば・・・)
の中に含まれる精子の数を決める、極めて強い要因は、前回性交からの時間、
その間のパートナーとの共有時間の割合、そして女の体重である、とのこと。
本文へ
- 19970921 イーサン・ケイニン 『宮殿泥棒』
- 「人格は宿命である」という、ヘラクレイトスさんの言葉があるんだそうです。
本文へ
- 19970918 阿満利麿 『柳宗悦』
- 「柳宗悦が、自ら民芸と名づけた一群の品々は、
柳によるとほぼつぎの五つの特徴をそなえているとされる。
一つは無銘の品であること、二つは作家ではなく職人の作であること、三つは実用品であること、
四つは大量生産の品であること、五つは美しさをとりわけ狙ってつくられたものではないこと。」
本文へ
- 19970910 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』第2巻
- 実は、第3巻をすでに見ておりまして、その巻での急転回を知っています。
第2巻は、「問題の」第1巻と「ちょっと違う意味で問題の」第3巻の狭間、
箸安めとでも申しましょうか。(楽屋落ちのねたもちらほら)
それでも凡百の人間には決して表現しえない内容になっていますから、
小林さんのパワーは「おそるべし」です。本文へ
- 19970906 山本昌代 『エルンストの月』
- 以前阪急神戸線の車窓に見える風景の美しさを書いたことがありましたが、
同じようなことを、私より巧みに、書いていてくれました。
1987年の「六甲」という文章。
ちなみに山本さんは横浜出身の人。本文へ
- 19970819 藤沢周平 『用心棒日月抄』
- 人物描写もストーリーもおいしいのですが、特に印象に残ったのが、
ところどころに現われるストーリーには直接関係のない、情景・風景描写の素晴しさ。
主人公又八郎が江戸の町を歩いているのが、われわれが今の時代に自分の町を歩いているのと同じ感覚で伝わってきます。本文へ
- 19970816 加藤周一 『夕陽妄語 第一輯 1984・4−1987・12』1997
- 「1984・4−1987・12」当時の各国の政治トップの名をあげますと、米国はレーガン大統領、
ソ連(ロシアじゃないです、念のため)はゴルバチョフ書記長(大統領じゃないです、念のため)、
日本は中曽根(最近は不沈空母ならぬ不沈政治家をやっている)
さんから竹下さんへ、フランスはミッテラン大統領(だよね?)。本文へ
- 19970811 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言』第一巻
- まず、そのプロ意識の強さ。これだけ、過激な発言をし、それ以上に行動をしつつ、
漫画家としての自分を失うことなく、一連の事件を「エンターテインメント」化した力量。
おそらく、小林さんの発言・行動を快く思わない人たちには、認め難い事実でしょうが、 良質な「エンターテインメント」だけが、本当に深く現実にリンクできるのだと、再認識しました。本文へ
- 19970807 米沢富美子 『科学する楽しさ』
- アモルファス研究の第一人者として活躍しつつ、三人の子供を育て、
昨年九月からは「日本物理学会会長」を勤めるという人です。そのかたわら、
『科学する楽しさ』に収められているような随筆も書くというのですから。ガシガシ、やってる。本文へ
- 19970805 白洲正子 『両性具有の美』
- 『両性具有の美』から、ゆきかけてしまった体験を綴った「夢現つの境」という文章の一部を。本文へ
- 19970804 ノーマ・フィールド 『天皇の逝く国で』
- カバー裏面の紹介文の一部。
「基地内のアメリカン・スクールに通い、大方の日本人の知らない"戦後"を生き、
いまも"太平洋の上空に宙づりの状態"にある著者が、みずからの個人史に重ねて描いた現代日本の物語。」
本文へ
- 19970725 塩野七生 『サイレント・マイノリティ』
- あの中野翠さんが文庫本巻末解説。(ちなみに、あの中野さんですら「"解説"などつけるのは、
しかもこの私が"解説"などつけるのは、せっかくの面白い話を「ようするに」の一言でひきずり落とし、
小さくまとめるようなもので、とんでもない「野暮」「僭越」というものだ。遠慮したい。」(283p)
と書いているのです。塩野さんの「力」が、質量とも、無類であることの証明ではありますまいか)本文へ
- 19970724 鶴見和子 『きもの自在』
- この鶴見さんの本が画期的なのは、商業ベースに乗せるため価格が異常につり上がり、
かつ自分のできる範囲で自分の着たいものを着たいように着るという原則から大きく外れてしまったかに 見える日本の「きもの」の良さを、エコロジカルな面からも言及している点にあります。 まさしく、この文章の冒頭に引用した「創造性」の好例です。本文へ
- 19970723 柳田邦男 『人間の事実』
- すぐれたノンフィクションに関するすぐれたノンフィクションであると同時に、
ノンフィクションの読書ガイドであり、データベース(巻末の18頁に及ぶ書名索引!!)でもあります。本文へ
- 19970722 小林信彦『現代<死語>ノート』
- <死語による現代史(または裏現代史)>を書くという試みは、
新書という制限された分量のなかで書かれているにしては、ある程度成功しているように思います。 語り口は絶妙で、一気に読ませます。本文へ
- 19970719 辺見庸『もの食う人々』
- が、しかし、質素で日常的ではありつつも暖かな食卓風景も、世界には無尽蔵にあるはずで、
そちらも描いて欲しかった気もします。貧困と飢餓の対極にある、飽食と浪費の食卓とともに (この時期、世界中の鰻を買い漁って、「日本伝統」の土用の鰻を食べること、食べられること、にどのような意味があるのか)。本文へ
- 19970715 田中康夫『ペログリ日記 '94〜'95 震災ボランティア篇』
- 「ペログリ」は「ペロペログリグリ」の略で、性行為を意味します。
「ペログリ」と「震災ボランティア」という、凡人には接続しがたい言葉が、田中康夫という人間のなかでは自然に結合されている!
それだけでも驚きですが、その結合の細部が、本人の包み隠さぬ言葉で表現されているわけで、
その人間のありように感動します。本文へ
- 19970709 大谷晃一『大阪学』
- 6月25日から30日まで、大阪におりました。北海道に越してちょうど二か月目の「里帰り」です。
私は、「珍事」タイガース日本一の年から関西圏に十二年間暮らし、その間「関西系」の女性を現地調達して妻にし、 子連れで北海道に「里帰り」しても「家庭内関西弁」を話す、という男です。 世界一の歩行速度を誇るとの噂もある大阪人が歩く人ごみでも、 なかなか人に追い越されることがなかったという「いらち」です。 本文へ
- 19970707 伊東一雄・馬立勝『野球は言葉のスポーツ』1991
- 最近、日米の野球の違いを実感させられたのは、
例の審判交流で日本にやってきたディミュロ審判員に対する暴行事件ですね。
6月5日の中日横浜戦で、判定を巡って中日の大豊選手から暴行を受けたとして、
急遽帰国することになったという事件です。NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられいました。 本文へ
- 19970702 青柳正規『トリマルキオの響宴』
- 日本の少子化は、「奴隷」制維持に対する「奴隷」たちの、ささやかな反抗かも。
その結果、こないだの戦争でやったように「労働力」を「新規調達」するような侵略戦争
(隣国の飢餓の一因でもある)が起きないことを祈ります。 本文へ
- 19970630 鶴見俊輔座談『学ぶとは何だろうか』
- 一貫して感じることは、鶴見さんには、「頑なな精神」を排除しようとする
「柔らかな意志」が働いているのではないか、ということです。
「固い意志」は、だいたいが傍迷惑なものですし、持っている本人の健康にもよくない、
そしてなにより自分とは異なる他者と多様性を持って繋がっていくことを拒否する。
そして意外ともろい。 本文へ
- 19970605 大貫妙子『ライオンは寝ている』
- 「野生動物は空と大地の間で生きている。そのあたりまえのこと。
ここでおこることは、あたりまえのことばかりだ。
その全体、全部を体にたたき込むこと。あたりまえの感覚を呼び覚ますこと。 ヒトであることのこだわりに心を奪われないこと。気配をなくすこと。
自然に入っていく糸口を探す毎日は、日に日に体が「しん」と静かになっていくようだった。」本文へ
- 19970602 村上春樹『アンダーグラウンド』
- そのインタヴュイーの「倫理感」の強さに感応したこともあってか、
インタヴュワー村上の小説家としての「倫理感」の強さもまた際だっています。
その姿勢は、「愚直」といっていいほどです。すでに「ゴーマンかまし」まくっても
大勢に影響ないような一大作家が、謙虚に素材に向き合い、
へたな脚色を排して文章化に励んでいるわけです。本文へ
- 19970515 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』
- が、その「水脈」のすぐ脇に、果てしない暗闇が潜んでいる。
その介助役として、おかしな教祖を選んでしまった人たちのはまり込んだ暗闇の深さ・・・。本文へ
- 19970429 伊藤友八郎・佐々木直彦『自宅が会社に代わるSOHO仕事術』
- 田原は、例によって、『徒然草』を頭に浮かべました。
「第百十段 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。 いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。本文へ
- 19970426 大塚勇三・赤羽末吉『スーホの白い馬』
- 今は江別市民の田原一家がまだ吹田市に住んでいたときのこと。
田原母子が、たまたま南千里の市立図書館は児童書スペースで寛いでいたらしいのです。 娘緑(一歳十一カ月、もちろん字など読めない)が子供の本が何千と並ぶ書棚からランダムに抽出してきた数冊の本の中に、 ほかでもないこの『スーホの白い馬』が紛れこんでいるのを、妻純子が発見。 この同報の第一読者である妻が、旦那を驚かそうと借り出してくれていたのでした。本文へ
- 19970414 木原敏江『アンジェリク』
- そして、田原はといえばけっこうハマッテしまって、通勤電車読書で集中してページをめくっている。
読み終えるまでの数日間、運悪く隣あわせた幾多の乗客が「気色悪いおっさん」 と思いつつ電車を降りたことでしょう。本文へ
- 19970410 立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』
- いずれにしても、たとえば角栄さん関係だけでも、後世に残る仕事をされたのだろう
(立花さんの本をあまり読んでいないので推量でしかいえない)と思うのですが、
偉い大家になってしまって先生呼ばわりされることがないのは、 いわゆる「文系」の領域だけに仕事を限定していないからではないか、とふと思いました。
自然科学を勉強している人は、謙虚な方が多いような気がします。自然について、
人間が何も知らないことをよく知っておられるからではないか、と田原は勝手に想像するわけです。
自然科学の研究者の前では、大立花も生徒にならざるを得ない。研究者がそうである以上に、
謙虚にならざるを得ない。だから一生懸命勉強する。本文へ
- 19970408 ディック・フランシス『興奮』
- ディックさんの「速度」は、気持ちの良いものでした。
「私もディック・フランシスのファンです。」本文へ
- 19970403 中村伊地哉『インターネット、自由を我等に』
- 著者の肩書きは「郵政省大臣官房総務課課長補佐」。となるとお役所くさい本なのかと思いきや。本文へ
- 19970401 高野文子『るきさん』
- 主人公の「るき」さんは、在宅で医療保険請求計算代行の仕事をする、
無茶苦茶若いわけではない独身女性。一月分の仕事を一週間で終わらせ、つまり金銭欲があまりなく、
悠々自適、郵便切手収集と図書館で子供の本を読むのが趣味。子供と子供の本を取り合って、譲らない程度に強気。
当然、運動神経がない。自意識無過剰の人で、おしゃれにも関心なし、男性にも興味がないらしい(色気もない)。
なぜかとても仲のよい、やはり独身の友人えっちゃんは、自意識過剰で洋服(を買うこと)が大好き。本文へ
- 19970330 内田春菊『ファンダメンタル』
- 山藤章二さんにも誉められたという、内田さんの「ファンダメンタル」なエッチシーンの数々は、
忘れていた触感を蘇らせる力があります。 「社会の中でどーとかこーとか、ということをできる限り抜きにして、 人を好きになる気持ちを考えてみたい」というのが、『ファンダメンタル』の一番大きなテーマだそうです。 「人を好きになる気持ち」と「ペット感覚」が実は相当近いところにある、 という内田さんの、意識的かどうかは知りませんが、洞察は、深いです。 本文へ
- 19970324 河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
- 米国でたまたまお互いに相知った二人が、日本に帰ってから、河合さんの地元である京都に
村上さんがでかけていくという形で、対談したものをまとめ、それぞれがそれぞれの脚注を付け足したもの。
1995年の11月に行われた対談ですから、当然オウムと阪神大震災が話題になっています。 本文へ
- 19970320 宮本信生『カストロ』
- 日本はカストロさんを必要としないですし、生み出す風土もないでしょう。
カリスマ指導者不在で正常に動く国家が一番健全なんでしょうが、あんまりいなさ過ぎても困るかなあ。
国民の均一・均質性(今はそれもなくなりつつあるのか?)からして、日本こそ自然発生型社会主義国ではないか、
と言っている人がいましたが、その通りかも。本文へ
- 19970317 岡田節人・南伸坊『生物学個人授業』
- 大阪は高槻市にある生命誌研究館館長で、関西弁つかいの先生、生物学者岡田節人(ときんど)さんと、
元「ガロ」編集長で、「大学に行っていない才能」「理解の遅い才能」を買われた生徒、 東京生まれのイラストライター南伸坊さんとの、「おもろい」生物学講義録。本文へ
- 19970316 群ようこ『鞄に本だけつめこんで』
- 「本の雑誌」との出会いは、群さんにとって、天の啓示だったのでしょう。
六回の「転職」のすえ、「天職」に巡り会ったという感じ。「好きこそ物の上手なれ」「へたの横好き」、 相反する諺があるわけですが、統計をとってみればおそらく「へた」のほうが圧倒的に多いなかで、 群さんの無理なく自然な文章はやはり才能というものでしょう。あやかりたいものです。本文へ
- 19970310 手塚治虫『グリンゴ』
- 「不思議な日本人」フジモリさんが登場して以来、南米の人たちの「ハポネス(日本人)」に対する理解は深まったのか、
「ハポネス」の南米の人たちに対する理解はどうか。
いずれにしても、『グリンゴ』の中に日系人大統領を登場させられるぐらいまで、 手塚さんには長生きして欲しかったですねえ。 本文へ
- 19970306 池澤夏樹『読書癖2』
- 『読書癖1』にはしおりがわりに、おそらく何かの雑誌の切り抜きでしょう
「私の好きな恋愛小説−池澤夏樹 「結婚しよう」アップダイク/著」という文章と、真っ赤な地に白い文字で
「SWING 10 CIGARS SWEET MANGO MADE IN HOLLAND」と書かれた煙草のパッケージを展開して一枚の紙にしたものが、
『読書癖2』には、新聞(紙名不明。労組の記事が多いが・・・)の切り抜き、
「土曜インタヴュー 池澤夏樹さん 困難超えて育む愛の確かさ」という見出しで、池澤さん初めての恋愛小説、
とそこには書いてある、『タマリンドの木』(文芸春秋)を紹介した記事が、それぞれ挟まっていました。本文へ
- 19970303 池澤夏樹『読書癖1』
- 一生読書を続けていくような人にとって、「読書」はもはや「趣味」の領域でなく「習慣」や「性癖」
になっているに違いないわけで、「癖」持ちというのは読書好きを形容する正しい用語でしょう。本文へ
- 19970227 夏目漱石『それから』
- 今月初めの日曜の朝、森田芳光監督の映画『それから』(1985年公開)
をTVで見たのが、「いまさら本」読書のきっかけです。たいへん優れた作品で、その年の映画賞をたくさんとりました。
原作を読みたいと思い続け、宿願がかなったのが、封切で映画を見てから十二年の後。
私も相当のんきです。 本文へ
- 19970220 白洲正子『日本のたくみ』
- 白洲さんの「たくみ」感とは、自然をどれほど自然に自分のものとして
自分のなかに取り入れられるか、その能力の高い人が優れた「たくみ」になる、 というようなものと私は考えます。自然の素材を、その生成の良さを生かして、不必要な造作を入れることなく、 作品化していくか。当然そこでは、それを作る人間の生成の良さも求められるわけです。本文へ
- 19970224 都村長生『なんしょんな!香川』
- 94年の渇水のとき、干上がった早明浦ダムの様子がよく報道されていました。
がしかし、都村さんの調査によると、同じ早明浦ダムを給水源とする徳島県では、 水が余っていて、余った分はそのまま海に垂れ流し状態だったそうです。
どうしてそんなことになるのでしょうか?
そういう事実が、一個人の無償の努力によってしか判明・公開されないとは、 どういうことなのでしょうか? 本文へ
- 19970217 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』
- 鬼太郎(と目玉のおやじ、あるいはねずみ男)のどこが、
われわれの心をそれほど深くとらえるのでしょうか。
「科学の子」アトムの存在の有り様、科学進歩礼賛的な、が一種時代遅れになってしまったのに比較して、 「霊的世界の子」鬼太郎がその命脈を保ち続けるのは、なぜでしょう。
本文へ
- 19970214 山内昌之『近代イスラームの挑戦』
- 十九世紀のヨーロッパ列強の植民地主義は苛酷なものだった、と感じました。
日本が植民地化されなかったのは、たまたま地理的に恵まれていたこと
(世界の辺境にあったという意味で)と、外国列強の圧力に対抗しうる政治風土があったから
(これも「たまたま」?)と思えるのですが、どうなのでしょう。
本文へ
- 19970210 瀬名秀明『パラサイト・イヴ』
- 作者は執筆当時から現役の研究者。ミトコン君系に造詣があり、
現実に自分の置かれた環境をフィクションの中に組み込む(これこそ共生か?)ことで、
細部までリアルな作品を作り出しています。これはまあ役得というものでしょうか。 本文へ
- 19970206 養老孟司『考えるヒト』
- 「あなたにとって××の世界は実在ですか」という質問に、
「それはもちろん実在です」と確信をもって言える「××」を持たずには生きられないいのが、
脳の過剰という「現実」を生きる、ヒトという生き物の「現実」かと思います。 本文へ
- 19970127 関川夏央『知識的大衆諸君、これもマンガだ』
- 韓国向けに限らず、日本のこれからのより伸びていくであろう輸出産業は、
ゲームについで、マンガ・アニメであることは間違いないでしょう。
世界は一家、人類はみなオタク。 本文へ
- 19970124 村上春樹『レキシントンの幽霊』
- 「いわば寒帯に住むことの孤独」。やはり優れた作家である(らしい。読んだことない)池澤さんの言葉はさすがにプロと思わせるものです。
私ならそれを、「禁欲主義の果ての快楽」と呼びますね。
「温帯に住むことの退屈」に飽いた人々の「快楽主義の果てのストイシズム」。
本文へ
- 19970122 三田村鳶魚『捕物の話 鳶魚江戸文庫1』
- 「社会秩序に庶民が合意し服していたから実現していた」社会って、
ある程度までは、今でもそうじゃないかと思ったりもします。
でももう、(どっから出てたか知りませんが)「威光」って、どこにもないですよね。
本文へ
- 19970120 津野海太郎『本はどのように消えていくのか』
- 「コンピューターはかならずまちがう。われわれ人間がいつもまちがっているように。
コンピューターも人間もまちがいを重ねながら、そのたびにすこしずつ利口になってゆくしかないのだ。」
これはよくわかりますね。私は最初のコンピュータを買って二年半なのですが、その間、 何度自分のアホさ加減にあきれたことか(相変わらずアホだが)。 それでもこうして毎日コンピュータに向かっているということは、 とりあえずは、文字通り「向いている」としかいいようがないですね。
本文へ
- 19970113 土屋雅春『医者の見た福澤諭吉』
- 私にとって、いろいろ馴染み深く、興味深い名前が登場しましたので、少し紹介しますと。
ベルツ博士。諭吉一度目の脳卒中のとき、治療にあたったそうです。『ベルツの日記』を昔読みました。 明治期の雇われ外人教授の一人。洋行帰りの日本人が「西欧から学ぶものはもう何もない」と豪語するのを聞いて、 愕然とするエピソードが書かれていました。自身も追われるように東大を去ったようです。 (プロ野球でいうなら、去年ヤクルトにいたオマリー選手状態)本文へ
- 19970108 チェ・ゲバラ『ゲバラ日記』
- 最後に愛称Cheの由来を。「ゲバラの愛称「チェ」はこの時からはじまる。
ゲバラが名前を知らない友人をよぶときの、アルゼンチンでの呼び方である「チェ」を頻発したことが、 仲間のキューバ人に強い印象をあたえたのである。」(172ページ)。
これは「オタク」の語源の、「おたくは・・・?」の「おたく」ではないか。本文へ
- 19961228 谷沢永一『人間通になる読書術』
- お買い得の一冊です。コスト・パフォーマンスが高い。
気取ったものでも、観念的なものでもない。権威や権力に対しては批判的でもある。
「大阪風味」です。本文へ
- 19961225 赤瀬川原平『新解さんの謎』
- 「路上観察者」の目で、三省堂「新明解国語辞典」を読む、というもの。本文へ
- 19961223 斎藤綾子『ルビーフルーツ』
- 『愛より速く』がどれほど「自叙伝」なのかはわかりませんが、
「リアル」であることは確かです。それとは対照的に、
『ルビーフルーツ』の弱点は、
作者が想像力を駆使してしまっているところですね。本文へ
- 19961220 清水博『生命知としての場の論理』
- 「フィードフォワード」という清水さんの造語はすばらしいと思います。
「過去、現在そしてすぐ先の未来にかけてのドラマの筋(ストーリー)がまったく見当がつかなければ、 現在何をなすべきかもわからない。このすぐ先の未来の状況の現在への回帰のことを フィードフォワードと呼」ぶ、のだそうです。本文へ
- 19961218 長田弘『失われた時代』
- 1930年代を生きたヨーロッパの芸術家たちの
「死」について書かれた本です。
作者自身の後記によれば、「この本は、風景を読み、
言葉を歩くことをとおして、ひとりの思想紀行として、
一九七一年のソヴェト、ポーランド、七二年のスペイン、
フランス、七五年のイギリスへの、
すべて個人的な旅にもとづいて書かれた。
ソヴェト、ポーランド、イギリスをのぞいては、
車(ルノー・カトル)により、じぶんで運転し、
走行距離はおよそ6200キロになった。」
本文へ
- 19961216 宮部みゆき『レベル7』
- かように私は、ミステリーというジャンルに弱い。
そんな私が、初めて読んでみた宮部さんですが、なかなか面白かった。 宮部さんの他の作品も読んでみたくなりました。 (どうも『レベル7』が、この人の最高傑作でもなさそうなので)。
本文へ
- 19961204 柳田邦男『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』
- 優れたノンフィクション作家の作品であると同時に、
一人の凡庸な父親が書いた作品であることが、
『犠牲』を感動的なものにしているのです。本文へ
- 19961128 樺山絋一『ルネサンスと地中海』
- 「アート」という言葉は、一般的には「芸術・美術・技術」を意味します。
広義では、「自然物ではなく、人の手の加わった物」というニュアンスを持つのでしょうが、 ルネサンス期について書かれた本を読むと、特に人間精神が発露されるものは、 すべてアートと呼んでいいのかなと思うのです。本文へ
- 19961125 寺田寅彦『柿の種』
- 一番印象に残った一節。
「自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人は めったにいないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、 美点は自覚することによってそこなわれ亡われるせいではないかと思われる。」本文へ
- 19961121 福沢諭吉『福翁自伝』
- 私は幕末の人物の中では勝海舟が好きなので、
ついつい勝さんと比較しながら『福翁自伝』を読みました。 (勝海舟の『氷川清話』は愛読書の一つです)本文へ
- 19961118 吉村昭『間宮林蔵』
- 人間の嗜好というものは、歳とともに変わっていくもののようです。
「保守的」で「地味」なものを素直に受け入れられるようになった自分を、 成熟したと見るべきか老化が始まったとみるべきか。本文へ
- 19961114 古瀬幸広・広瀬克哉『インターネットが変える世界』
- 「情報公開、共有こそが民主主義を支える根幹であ」る、と著者は書いています。
使えるものと使えないものの間に壁を作る役割を果たした言葉が、今生まれつつある電子ネットワークによって、 始めて人と人を繋ぐ力を獲得しつつある。それが民主主義でなくてなんでしょう。 "Power to the people" (ジョン・レノンの歌の題名)なわけです。 (久米さんのメールに"give and give"という言葉を発見しました。 私はそれを「情報ポトラッチ」と呼びたいです)。本文へ
- 19961106 鶴見俊輔『思想とは何だろうか』
- 一九二二年生まれの鶴見俊輔さんが、戦後すぐから今現在に至るまで座談を続け、
十冊にも及ぶ座談集が出る。そのこと一つをとっても、鶴見俊輔という人のタフさを物語っているように思えます。 鶴見さんの思想が柔軟で実用的であった証拠でしょう。第二回「思想」では、 「思想」イコール「イデオロギー」時代の座談もあるのですが、 お相手の「思想」が硬直して過去のものになっているものも何点かあったような気がします。本文へ
- 19961104 中沢厚 『つぶて』
- その「つぶて」に対する思いが、その名も『つぶて』という本を生みます。
古代世界(ギリシャ、ペルシャ、中国、韓国、そして日本)の「つぶて」に始まり、投石器の様々、 日本中世の石合戦、石投げの民俗学的考察、一揆・打こわし等の政治的「つぶて」、そして日本の石合戦の終焉。 そんなふうにおよそ考えうる「つぶて」に関する事項がその本には詰まっているのです。本文へ
- 19961031 司馬遼太郎 『街道を行く 5 モンゴル紀行』
- そんな目の持ち主たちだからでしょうか、それとも逆もまた真なりでしょうか、
飼っている家畜がどれほどの大集団であろうと、その一匹一匹を個別に認識しているのだそうです。 当然その記憶力認識力は、人間の顔判別にまで拡張され、一度会って自己紹介などしようものなら、 一生覚えていてくれるらしいです。本文へ
- 19961024 テリー伊藤 『お笑い大蔵省極秘情報』
- 大蔵官僚発言要約−−−−−−− エリート中のエリート大蔵省主計局の
われわれこそがわれわれだけが、日本を正しく導いてやっているのだ。
たまにはまずいこともあるが、それはアホな国民と政治家の責任。
元祖天才大蔵官僚のぼくだからぼくなのだ (「天才バカボン」の節で。ちょっと字余りですが)。本文へ
- 19961022 渋谷章 『牧野富太郎』
- 牧野さんが今生きてたらどうでしょう。もしインターネットを知ったならば、
さぞや面白いホームページを残してくれたのではないでしょうか (そんなに借金もしないですんだかも)。本文へ
- 19961019 洲之内徹 『気まぐれ美術館』
- ここらあたりは
草山ばかり
風に吹かれて
飲むばかり本文へ
- 19960927 中島らも編 『なにわのアホぢから』
- 最近は大阪は玉造の事務所でお仕事をされているそうで、
ある玉造在住の人に「らもさん、あんたこのあたりで有名でっせ、 「コトリ」が出るちゅうて」と言われたとか。 すかさず上岡さんの補足、「コトリちゅうても小鳥ちゃいますよ、 人さらいです」。本文へ
- 19960925 小林惟司 『寺田寅彦の生涯』
- その時代随一の科学者・文人かつ人格高潔で教養は深く趣味は洗練され、
で悪いところのないような寺田さんも、それゆえにストレスがたまり (親しい人には人づきあいが大変と漏らしながら人に会うほどに気を遣う)、 師と仰ぐ夏目漱石と同じ病に倒れ早世します。 寺田さんほど理知的な人がなぜと弟子の誰もが思うのですが、体に良くないことをわかっていながら、 これも漱石と同じく甘い物の暴食をやめなかったようです。
人間ってよくわかりません。本文へ
- 19960913 猪木正道 『軍国日本の興亡 日清戦争から日中戦争へ』
- なぜ、彼らはその狂的な渦から抜け出せず、われわれはその渦を停止させられなかったのでしょうか。
われわれがサリンをまく側に立たないですんだのは、たまたま偶然その渦の外にいれたから、 と認識するところから始めなくては。本文へ
- 0255 寮美千子『星兎』
- 星の王子さま」や「銀河鉄道の夜」がそうであるように、
お子様よ
り、ある種の大人たちに受け入れられる本。 「星の王子様」や「銀河鉄
道の夜」が愛読書であるような。本文へ
- 0234 京極夏彦『文庫版 姑獲鳥の夏』
- 0233 川原亜矢子『いつも心にソレイユを!』
- 0232 池澤夏樹『むくどりとしゃっきん鳥』
- 0231 池澤夏樹『むくどりの巣ごもり』
- 0230 池澤夏樹『むくどりは千羽に一羽・・・』
- 0229 金子郁容『コミュニティ・ソリューション ボランタリーな問題解決にむけて』
- 0227 『荒木経惟の写真術』
- 0225 牧まさお・真弓香『マジカル・インカへの旅 聖なる予言に導かれて』
- 0222 船山馨『石狩平野(下)』
- 0221 船山馨『石狩平野(上)』
- 0220 佐藤良明『J-POP進化論』
- 0207 謙東弥『ビルマへの手紙』
- 0202 司馬遼太郎『北海道の諸道 街道をゆく15』
- 0200 佐山和夫『ベースボールと日本野球』
- 0199 夏目房之介『マンガと「戦争」』
- 0138 岡倉天心『茶の本』
- 0124 中尾『文科系の』
- 0121 森『贅沢貧乏』
- 0253 藤倉徹夫『北海民謡の父 −今井篁山の生涯−』
- 0252 高橋朋子『ジンバブエ、収穫の秋(とき)』
- 0251 遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』
- 0249 司馬遼太郎『北のまほろば 街道をゆく41』
- 0247 立花隆『脳を鍛える−−東大講義 人間の現在1』
- 0246 司馬遼太郎『菜の花の沖』
- 0244 高田宏『日本海繁盛記』
- 0243 佐野真一『宮本常一が見た日本』
- 0242 宮田登『冠婚葬祭』
- 0241 小谷野敦『もてない男−−恋愛論を超えて』
- 0240 船戸与一『蝦夷地別件』
- 0239 照屋林助『てるりん自伝』
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